「良かった / 悪かった」では終われなかった話
― 私が通った支援学級と特別支援学校は、何が違ったのか ―
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【0】 はじめに ― この文章の前提
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・これは私一人の実体験です。
・すべての特別支援学校がこうだとは限りません。
・すべての支援学級がこうだとも限りません。
・登場する先生の多くは、手を抜きたくて抜いた人ではありません。
それでも書くのは、私が中学生のときに欲しかった説明が、
どこにも存在しなかったからです。
当時の私は、目の前で起きていることに違和感だけを感じていて、
それが何なのかを言葉にできませんでした。
今ならできます。だから書きます。
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【1】 良かった話 ― 支援学級のこと
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小学校4年のとき、私は理科が好きでした。
すると支援学級の先生は、教材として
「FMはこらじ」というラジオの組み立てキットを買ってきました。
周りの子がまだ豆電球をやっている段階で、
私はラジオを一台、鳴るところまで作ってしまった。
▼ そのとき私が得たものは、二つあります。
・ラジオは案外、簡単な部品で鳴るという衝撃
・何のとりえもないと思っていた自分が、
一台作りきったという事実
この一件のあと、私は図書館でラジオの本を借り、
ゲルマニウムラジオという、もっと簡単な作り方に辿り着きました。
誰にも言われていません。勝手に進みました。
▼ 他の先生の話も書いておきます。
私がカエルを好きなのを見て、プリントをカエルにした先生がいました。
どうやったら私が勉強するのか、試行錯誤していたのだと思います。
下校時間に「勉強って何があるんですか」と聞いた私に、
「人生すべてが勉強なんだよ」と答えた先生がいました。
「給食も?」と聞いたら、「給食も勉強だよ」と返ってきました。
子供ながらに、それは確かにな、と腑に落ちました。
ラジオがなぜ聞こえるのかを知りたがっていた私に、
「ラジオの波と違って、デジタルの波はかくかくなんだよ」
と教えた先生がいました。小学校の範囲外です。
はんだごての存在も、この先生に教わりました。
何かに失敗して「嫌だ」と言っていた私に、
「やってみなくちゃ分からなくない?」と言った先生がいました。
当時の私は「前にやって失敗した、今回も失敗するに決まってる」
と思っていました。今は、あれが正しかったと分かります。
▼ ここで一つだけ、先に言っておきたいことがあります。
この人たちがやっていたのは「優しさ」ではありません。
私を観察して、私に合わせて、方法を変えていた。
それは技術です。
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【2】 悪かった話 ― 特別支援学校のこと
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中学は、地元の中学ではなく特別支援学校を選びました。
理由は主に一つ。
当時の私は、急なストレスでパニックを起こして暴れてしまう自分に、
自分自身が嫌気がさしていた。止め方を探していた。
色々試して、全部失敗していた。
「個々に沿った教育をする」と聞いていました。
専門的なことを知っている人がいて、
私がまだ気づいていない何かを教えてくれるはずだ、と思っていました。
▼ 私はこのとき、代価を払っています。
支援学級に残っていれば、好きだった理科をもっと掘れた。
それは分かっていました。分かった上で、
パニックを止める方を優先しました。
結果から言うと、
差し出したものは無くなり、
受け取るはずだったものは、そもそも置いていませんでした。
▼ 実際に起きたこと。
パニックになると、先生は押さえつけました。
それだけでした。
なぜ起きたのか、次にどうするかは、何もありませんでした。
「作業」という時間がありました。
やることは単調で、指示通りに動くだけです。
ロボットがこなすような内容でした。
脱走すれば、引きずり戻されました。
暴れても、参加は強制されました。
そして、うまくできると、こう言われます。
「これ出来たらお兄さんだね」
お兄さんだね、と持ち上げておきながら、
パニックへの対処は本人任せでした。
上辺だけの子ども扱いと、丸投げが同居していました。
国語も算数も理科も社会も、
それまで積み上げてきた科目には、ほとんど触れないまま
三年間が終わりました。
文化祭がありました。
私にはあれが、いい学校であることを見せびらかす祭りに見えました。
連絡帳を通じて家には話が行きます。
ただ、母から聞く話は、綺麗事しか見えていない状態でした。
▼ 訴えはしました。
勉強の内容についても、方針についても、
一度ならず言いました。
結局、丸め込まれて終わりました。
そのうち私は、こう思うようになります。
「障害者が言うことだから、聞き入れられないのか」
この時期、どうせ僕は変わらないし治らない、
他人は僕のことを分かってくれない、という考えが固まりました。
自殺を考えたこともあります(怖くてできませんでしたが)。
中学3年になると、学年主任が説教を持ちかけてきました。
内容は「このままじゃ生きていけない」というものでした。
いや、分かっているんです。
分かっているけれど、方法がないんです。
期限だけを詰められて、やり方は渡されない。
残ったのは、傷を負った虚しさだけでした。
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【3】 ……と、ここで終われれば楽だった
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ここまで読むと、話は簡単に見えます。
・支援学級 = 良い
・特別支援学校 = 悪い
実際、私も長いことそう思っていました。
そして、これは間違ってはいません。
私が受けた扱いの落差は、事実そのとおりです。
▼ でも、この整理には決定的な欠陥があります。
「良い先生に当たってラッキーだった、悪い先生に当たってアンラッキーだった」
という話にすると、次の子に何も渡せない。
運の話は、再発防止に一切つながらないからです。
それに、私を押さえつけた先生たちも、
手を抜きたくて抜いたわけではないと思っています。
実際、特別支援学校にも、私にちゃんと向き合った担任はいました。
中1の最後の日に、私はその先生の尻を膝で打つという最低なことをしました。
その先生は「しばらく痛かった」とありのまま私に伝えて、
そのうえで、それまで通りに接してきました。
さすがに悪いことをしたと思って、以後ふざけるのはやめました。
この先生のおかげで、私は途中から
希望した内容の勉強をさせてもらえるようになっています。
だから、善意の有無で線を引くと、線が引けないんです。
良い人も悪い人も、両方の場所にいた。
▼ では、何が違ったのか。
私が自分の経験を全部並べ直して、最後に残った差は一つでした。
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【4】 違いは「応答したかどうか」だけだった
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┃ ┃
┃ 私が起こしたアクションに、応じたか、応じなかったか ┃
┃ ┃
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これだけです。
▼ 応じるとは、こういうことです。
・理科が好きらしい → ラジオのキットを買ってくる
・カエルが好きらしい → プリントをカエルにする
・波を知りたがっている → 範囲外でも、波の話をする
子どもが出した信号を、入力として受け取って、
こちら側の設計を変えている。
▼ 応じないとは、こういうことです。
・パニックを起こした → 押さえつける
・脱走した → 引きずり戻す
・方針に異議を唱えた → 丸め込む
子どもが出した信号を、消すべきノイズとして扱っている。
▼ ここが一番の要点です。
脱走も、暴れることも、異議申し立ても、
本来は「この課題は合っていない」「今つらい」という情報です。
受け取れば、設計を変える材料になります。
消せば、何の材料にもなりません。
だから同じことが延々と繰り返される。
私が三年間ループから出られなかったのは、根性の問題ではなく、
情報が一度も上流に届いていなかったからです。
▼ そしてもう一つ。
できること・できないことに個体差があるのは当たり前です。
当たり前なのに、それに応じた工夫も分析もなく、
「従わせる」という流れだけがあった。
たぶんこれが、当時の私が言い表せなかった違和感の正体です。
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【5】 では、福祉は何を守るはずだったのか
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ここからが本題です。
応答しない場所が生まれるのは、
そこにいる人が悪人だからではありません。
応答しなくても誰も困らない構造だからです。
私が置かれていた環境には、次の三つが揃っていました。
┌─ ① 閉鎖性 ─────────────────────────┐
│ │
│ 中で何が起きているかは、中の人しか知らない。 │
│ 保護者は連絡帳を通した情報しか持っていない。 │
│ そして連絡帳に書かれるのは、綺麗な側だけです。 │
│ │
│ 親に現状が見えていない以上、伝わるわけがない。 │
│ 嘘をつかれていたというより、 │
│ 見える仕組みがそもそも無かった。 │
└────────────────────────────────┘
┌─ ② 第三者検証性の不在 ────────────────┐
│ │
│ 外の人間が中身を確かめる経路がない。 │
│ 比較対象もない。セカンドオピニオンもない。 │
│ │
│ 精神科はありました。でも彼らが持っているのは │
│ 一般的な精神病理の知識であって、 │
│ 私という一人にカスタマイズされた分析ではない。 │
│ │
│ つまり「ここのやり方はおかしいのでは」と │
│ 照合する先が、どこにも存在しませんでした。 │
└────────────────────────────────┘
┌─ ③ 申し立ての属性による無効化 ───────────┐
│ │
│ 一番効いたのはこれです。 │
│ │
│ 私が何か言うと、内容ではなく、 │
│ 「障害のある子が言っていること」として処理される。│
│ │
│ 内容が検討されないので、正しくても通らない。 │
│ 正しくても通らないので、次から言わなくなる。 │
│ 言わなくなるので、問題は存在しないことになる。 │
└────────────────────────────────┘
▼ この三つが揃うと、何が起きるか。
訂正の経路が消えます。
苦しいだけなら、まだ耐えようがあります。
耐えられなくなるのは、
苦しいと訴えても、それが苦しさの証拠ではなく
症状として処理されるときです。
絶望という言葉が正しいなら、指しているのはたぶんこれです。
扱いのひどさそのものより、
直せる見込みがどこにも無いという発見の方です。
▼ 福祉が本来やるべきだったこと。
私は、福祉に「優しくしてほしかった」わけではありません。
・中で何が行われているかが、外から見えること
・本人の申し立てが、属性ではなく内容で扱われること
・合わなかったときに、別の選択肢に移れること
・「なぜそうするのか」の説明が、本人にも渡されること
この四つがあれば、たとえ最初の配置が失敗しても、
途中で直せます。
逆に、この四つが無ければ、
どれだけ善意のある人を配置しても、
合わなかった子は三年間そのままです。
善意は個人差がありますが、
訂正経路は仕組みで作れます。
だから仕組みの話をしています。
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【6】 最後に ― 私が言いたかったこと
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私は、学びに行きました。
教えてもらえるはずでした。
実際には教えてもらえず、それどころか、治すことを要求されました。
この文章で言いたいのは、どこが良くてどこが悪かったか、
ということではありません。
▼ 言いたいのは、こういうことです。
支援の質は、制度の名前では測れません。
「支援学級だから」「特別支援学校だから」ではない。
測れるのは、応答性です。
子どもが起こしたアクションに、応じたか、応じなかったか。
そして応答性は、担当者の人柄任せにすると運になります。
運にしないためには、
中が外から見えて、本人の声が内容で扱われる構造が要ります。
▼ もう一つ。
当時の私は、自分の頭が悪いから分からないのだと思っていました。
そうではありませんでした。
私は「なぜ」を突き詰めて、構造を知ってから対処する仕様でした。
だから理由の説明は、私にとって好みではなく、必須の入力でした。
そこに理由抜きの指示だけが供給され続けた。
つまり故障ではなく、形式が合っていなかった。
それだけのことに、気づくまで十年かかりました。
▼ だから最後に、これだけ書いておきます。
大人側がどれだけ気づけるか。
子どもの問いを、どれだけ知的に分解して、
噛み砕いて、納得するまで返せるか。
それが足りないと、子どもは自滅しかけながら独学するか、
道を踏み外すかのどちらかになります。
私は前者で、たまたま生き延びただけです。
重い話ですが、たぶんこれが、
子育てにおいて一番忘れてはいけない事実だと思っています。
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※ 繰り返しますが、これは私一人の実体験です。
※ 同じ制度の中に、まったく違う実践をしている場所もあるはずです。
※ ここに書いたのは、その差がどこから生まれるのかについての、
※ 当事者側からの一つの分析です。
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